夏コミ94 国際交流コーナー 報告

コミケ93の国際交流コーナーでは、2018年6月にオランダ ハーグで開催された『Anime 2018 Queens』について特集しました。

オランダの同人誌も展示。

今回も世界中からたくさんの方々が来てくれました。

ワルシャワ国際コミックフェスティバル~ポーランドマンガの世界にダイブ

皆さん、こんにちは! 日本で海外マンガを翻訳出版しているフレデリック・トゥルモンドです。今回は僕が『AIDE 新聞』のナビゲーターを務めさせていただきます。

世界中にはコミックスやマンガをめぐるさまざまなイベントがありますが、ここ数年、その中でも大きなフェスティバルの紹介が進んでいます。
例えば、イタリアのルッカ・コミックス&ゲームズ(LuccaComics & Games)、アメリカのサンディエゴで行われるコミコン・インターナショナル(Comic-Con International)、
フランスのアングレーム国際漫画フェスティバル(Festival international dela bande dessinée d’Angoulême)とジャパンエキスポ(JapanExpo)、
アルゼンチンのコミコポリス(Comicopolis)……。規模といい、内容の豊かさといい、オリジナリティといい、どれもすばらしいフェスティバルです。

では、もう少し規模の小さいイベントはどうなのでしょう? 規模は小さいけれど、世界に誇れるイベントというものはないのでしょうか?
今回の『AIDE 新聞』では、皆さんを今まであまりなじみのない目的地、ポーランドにご招待します。今回ご紹介するのは、ワルシャワ国際コミックフェスティバル、そしてポーランドマンガの世界です。
フランスやイタリアといったヨーロッパの他の国と比べると、規模は小さいですが、ポーランドのマンガには思いがけない魅力がたくさんあります。
ぜひそれを皆さんにも
知っていただきたい。

[著者紹介:フレデリック・トゥルモンド(Frédéric Toutlemonde) ]

1978 年パリ郊外リラ生まれ。パリ第7 大学日本言語文化学科卒。学生時代にスペインとキューバを繰り返し訪問。
1999 年に初めて日本を訪れ、2003 年より日本で暮らす。2014 年までに在日フランス大使館に勤務する。2008 年にEuromanga 合同会社設立、バンド・デシネを専門にしたマンガ誌
『Euromanga』誌の出版を始める。2014 年5月にユマノイド日本支社設立、代表を務めている。2012 年から海外マンガ フェスタの実行委員会委員長を務めている。

それでは、いざポーランドへ!

まずポーランドの位置をおさらいしておきましょう。え、どこだっけ…という方、ご安心ください。
ヨーロッパには大小さまざまな国があり、ポーランドは大きな面積を誇っていますが、イギリスやドイツ、フランス、イタリアといった大国ほど知名度があるわけではないんです。
周辺国の名前をあげるとややこしくなる一方なので、できる
だけシンプルに説明してみましょう。ポーランドはドイツの東側にある大国で、大きさもドイツとほぼ同じ。
首都はワルシャワ。その人口は180万人強で、EU圏で9番目の大都市です。第二次世界大戦中に破壊され、数々の痛ましいエピソードの舞台となったワルシャワですが、
戦後見事に復興を遂げ、今日ではヨーロッパでも屈指の美しい街と
なっています。古都ワルシャワの魅力は、西欧のよく知られた観光地にも決して劣りません。
有名な作曲家フレデリック・ショパンが生まれ育った場所としても知られるこの都市は、物価も決して高くなく、公共交通機関も安定していて、安全で穏やかな印象があります。
心配性の外国人観光客にとっても居心地のいい都市だと言えるでしょう。

つまり、ワルシャワはまさに観光にうってつけな都市なのです。ちょうどしばらく前に日本との間をつなぐLOTポーランド航空の直行便も開通したばかり。
それではここから、ワルシャワ国際コミックフェスティバルとポーランドマンガについて見ていくことにしましょう。


 

 

ワルシャワ国際コミックフェスティバルへようこそ!

ワルシャワ国際コミックフェスティバル(ポーランド語ではKomiksowa Warszawa)は、中央アジア最大のマンガのフェスティバルのひとつで、ヨーロッパのマンガ編集者の間ではよく知られています。
その歴史は2010年に遡ります。その年、ポーランドのマンガ家や編集者、ファンからなるあるグループが、協力してポーランドマンガ協会を設立しました。
そして、この協会が主導する形で、年に1回ワルシャワでマンガのフェスティバルを開催することが決まったのです。ところが、2010年の第1回は波乱万丈の幕開けとなりました。
まずフェスティバルと関係の深い印刷所で火災が発生。次にアイスランドの火山が噴火し、海外ゲストの到着が大幅に遅れました。他にも不慮の事故が次々に発生……。
それでもフェスティバル事務局はこれらの試練を乗り越え、記念すべき第1回を成功させました。2013 年からは、マンガファン以外の人にも興味を持ってもらうべく、ワルシャワブックフェアとタッグを結成。
今ではフェスティバルは、同フェアの中で毎年開催されています。会場はPGE国立競技場。UEFA EURO2012 に合わせて建てられた建物です。
フェスティバルには毎年、世界中(フランス、ドイツ、アメリカ、メキシコ…)から10人ほどの作家が招待され、参加しています。規模はそれほど大きくなく、出展者数は50 組ほど。
そのほとんどがポーランドのマンガ出版社で、中には独立系の作家や海外から自国のマンガのプロモーションのためにやってきたエージェントなどもいます。
会期の4日間は、サイン会や国際的色豊かなトーク、ワークショップなど、さまざまなイベントが行われます。とてもアットホームな雰囲気で、一般の参加者も作家も編集者も交流を楽しんでいます。


 

ポーランドのマンガ市場

フェスティバルにはポーランドのマンガもあれば、アメリカン・コミックスも日本のマンガもフランスのバンド・デシネもあります。
このようにフェスティバルの中にさまざまな地域のマンガが同居していること、このことが現在のポーランドのマンガ市場をよく表しています。
ポーランドマンガ協会の会長によると、ポーランドのマンガ市場の構成比は以下のようになっているそうです。ポーランドマンガ20%、日本マンガ25%、アメリカン・コミックス30%、バンド・デシネ25%。
ポーランドのマンガ市場は今現在拡大中で、2014年以降、25%もの成長を遂げています。Kultura Gniewu 社の創立者SzymonHolcman氏によると、
現在はポーランドのマンガにとって最盛期ともいうべき時期で、新たな出版社が次々と生まれ、世界中のありとあらゆるマンガが翻訳出版されているのだとか。
マンガ関連のイベントもたくさんあり、ほぼ毎週末、ポーランド国内のいたるところでイベントが開催されています。18 年前に創立されたKulturaGniewu社は、Egmont社と並んで、ポーランドマンガのパイオニア的存在です。
2000年以降、これらの出版社を中心に、無数の小出版社が登場するようになったのです。

「マンガは“当たり前”のジャンルになった」

「最初のうちはポーランドマンガの読者コミュニティはごく小さなもので、書店もマンガを売りたがりませんでした。
しかし、3 ~ 4年前からメディアで話題になるようになり、“当たり前”のジャンルになったんです」とSzymon Holcman 氏は考えます。
Kultura Gniewu社はフランス=ベルギーのバンド・デシネの翻訳を主に刊行する出版社ですが、最初からポーランドの作家たちも扱っていて、今ではカタログの半分をポーランド人作家たちが占めるまでになりました。
「私にとっては、母国の作家たちの作品を出版することはとても重要なことなんです。児童マンガの分野では、ポーランドのマンガのほうが海外の作品より売り上げがいいんですよ」。
とはいえ、フェスティバル会場を歩いていると、ヨーロッパではすっかりおなじみのジェネレーションギャップの存在に目が留まります。
大人や子供はフランス=ベルギーのバンド・デシネやポーランドマンガに集まっているのですが、若者たちはアメリカン・コミックスや日本のマンガにしか興味がないようなのです。
ポーランドのマンガ市場は、一見急成長を遂げている新しい市場のように見えますが、必ずしもそうではありません。実は100年以上の歴史を誇る古い市場で、それが今大きく発展しようとしているところなのです。

ポーランドマンガの100 年!

ポーランドマンガは、1918年12月にとある新聞に掲載された『Ogniem i mieczem(火と剣と)』という新聞マンガから始まると言われています。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の自由を謳歌していたその時代、マンガはさまざまな新聞上に広がっていくことになります。その当時、ポーランドマンガの読者は、新聞の購読者でもある大人の一般大衆でした。
しかし、その後、海外マンガが入ってくることで状況が変わっていきます。
ちょうどその頃、『ローレル&ハーディ』、『プリンス・ヴァリアント』、『ターザン』、『ミッキーマウス』といったよく知られたコミックスが翻訳されるようになりました。
もともとは新聞に慎ましく掲載されていただけだったポーランドマンガは、やがて若い読者の人気を獲得し、1930年代にはポーランドマンガの雑誌や単行本がたくさん刊行されるまでになります。
この時期のポーランドマンガで有名なのは、KornelMakuszynski 作、Marian Walentynowicz 画で1933年に刊行された『Kozlotek Matolek』です。
ちょっとマヌケでおひとよしな雄ヤギの冒険を描いた作品で、全身真っ白な毛に覆われ、赤いショートパンツを履いている姿は、ポーランドの国旗を想起させます。
主人公のヤギは、子供たちが大好きで、徴兵されポーランド軍で働いたり、世界中を旅したり、祖国を憂えたりしますが、最後には必ず自分の住まいである家畜小屋に戻ります。
この作品は今なお大人気で、ポーランドの児童文学の古典のひとつと見なされています。


 

共産主義時代のポーランドマンガ

残念ながら、このポーランドマンガの最初の黄金時代は、第二次世界大戦とともに終わりを告げてしまいます。
1939年、ドイツに占領されると、マンガ産業は突如として停止し、再開されたのは終戦後になってからのことでした。
1945年から48年の間には出版社がいくつか復活し、両大戦間に刊行されていた人気作品を再び世に問うようになります。
しかし、第二次世界大戦後の共産主義新体制は、マンガを西側のポップカルチャーが生み出した悪徳と見なし、好意的にはとらえてくれませんでした。
そのため、せっかく再版された古い作品も、多くは1947年から1957年の間に発禁処分となってしまいます。
スターリンの死後、こうした発禁処分が解け、ようやくポーランドマンガは再び活気を帯び始めました。
その中核を担ったのは子供向けマンガで、マンガは、例えばボーイスカウトの雑誌に掲載されたりしたのです。
マンガはたちまち人気を博しますが、そこに目をつけたのがソ連でした。
プロパガンダの格好の機会と見なされ、親ソ連的なマンガが子供向けの雑誌に氾濫することになります。
このプロパガンダ期を代表する作品のひとつが『Kapitan Zbik(ズビック隊長)』です。
主人公はイケメンでインテリ、なおかつ公正な軍人で、ありとあらゆる格闘技の達人で、絶えず犯罪者と戦っています。
このシリーズは、若者たちに対して軍隊のイメージを刷新し、精鋭部隊が栄光で包まれたものだと思い込ませることを目的に作られたものでした。
若者たちもズビック隊長と同じように当局や法律に貢献すべし、というわけです。
このカリスマ的なキャラクターの生みの親は、民兵団司令部の広報部隊長Zladyslaw Krupkaでした。
ズビック隊長の冒険は、1967年に始まり、1982年まで続きます。
時が経つにつれ人気は拡大し、累計販売部数は1150万部にものぼっているそうです。今日でもズビック隊長の冒険は、ポーランドのキオスクで手に入れることができます。
特に当時をなつかしく思い出す年配の読者の間で、このキャラクターは今なお人気を誇っているのです。

ポーランドのジェームズ・ボンド

同種のプロパガンダマンガで人気を誇っていたシリーズがもうひとつあります。
1971年から73年にかけて出版されていた『Kapitan Kloss(クロス隊長)』です。
このシリーズは、第二次世界大戦を背景にあるポーランド人スパイがドイツ軍と戦う姿を描いています。
イケメンでインテリ、しかもプレイボーイであるクロス隊長は、ソ連の諜報機関で働くポーランド版ジェームズ・ボンドとでもいうべき存在です。
彼は第三帝国の内部に潜入し、絶体絶命のピンチを切り抜けます。
占領者であるソ連のために働くという意味で、常に論争の的になってきたキャラクターではありますが、クロス隊長は今でも、ポーランドのマンガの中で最も人気の高いキャラクターのひとりだと言っていいでしょう。

大衆的な子供向けマンガ

しかし、子供向けの雑誌や新聞に掲載されていたマンガがすべてプロパガンダ的な性格を持っていたわけでも、『ズビック隊長』や『クロス隊長』のようにリアルなスタイルで描かれていたわけでもありません。
あまり政治的でないマンガもかなりありましたし、その中にはヒット作もあったのです。
中でも、『Tytus, Romek i A’Tomek』と『Kajko & Kokosz』の2作は、未だにポーランドで大人気の作品です。
Henryk Jerzy Chmielewski(ペンネーム:Papcio Chmiel)による『Tytus, Romek iA’Tomek』は、親ソ連時代のポーランドを舞台に、人語を解すチンパンジーのTytusと彼の友人であるボーイスカウトの2人の少年の日常と冒険をユーモラスに描いた作品です。
このシリーズのテーマは、ボーイスカウト運動や交通事故防止対策、宇宙の知識など、教育的・道徳的なものです。
1957年にある雑誌で連載が始まり、1966年からは単行本の形でも刊行されるようになりました。
本シリーズはまた、年に一度、定期的に単行本が刊行されるようになった最初のポーランドの本でもあります。
その後テレビ向けにアニメ化もされました。もうひとつポーランドの子供向けマンガの象徴とも言うべき作品が、Janusw Christa の『Kajko &Kokosz』です。
この作者は、既に1958年から『Kajteki Koko』という作品をある雑誌に連載し、人気を博していました。主人公は、頭がよくて背が低い人物とちょっとマヌケでぽっちゃりしている人物の2 人組。
『Kajko& Kokosz』は、『Kajtek i Koko』を中世世界に移し替えた作品です。主人公のKajkoとKokoszの2人は、自分たちの村が近隣の強力な村から襲われるのを守り、その後もさまざまな冒険を積み重ねていきます。
このマンガは、物語のコンセプトにおいてもビジュアル面においても、フランスで最も有名なバンド・デシネ『アステリックス』を想起させます。
『アステリックス』でも主人公たちの住むガリア人の村がユリウス・カエサル率いるローマ帝国に襲われ、主人公たちがそれを守るのです。
違いがあるとすれば、『アステリックス』の舞台は史実に基づいた古代であるのに対し、『Kajko & Kokosz』の舞台は空想上の中世であるという点でしょう。
もっとも空想とは言いながら、その村は明らかに中世のポーランドをモデルにしているようで、スラブ人の勇敢な戦士たちがたくさん住んでいます。
一方、敵はと言えば、甲冑や兜から判断するに、近隣に住んでいたゲルマン人でしょう。
しかし、この作品が発表された当時、ゲルマン人の国家ドイツは東西に分かれていて、東ドイツは、ポーランドに強い影響力を持つソ連とも関係の深い友好国でした。
この作品が空想的な世界観を備え、そこに存在する民族や主人公たちの名前が現実と一致しないのは、過去の出来事との関連をあまりあからさまにせずに、隣国ドイツが抱えていた微妙な問題に下手に触らないようにするためだったのでしょう。
本シリーズは1972年から1990年にかけて刊行され、累計13巻で700万部以上の売り上げを誇っています。
現在でも小学校の必読書に指定されているそうで、どの書店にも並べられています。プロパガンダの要素がないこともあって、今日でも人気の作品です。


 

秘かに読まれた海外マンガ

親ソ連時代のポーランドマンガは、基本的にリアルなプロパガンダマンガか子供向けマンガに限られていました。
当時、検閲が存在していたのですが、そのため幻想的なマンガやSFが発展し、1970 年代末にはSF がポーランドマンガで最も人気のあるジャンルになります。
1982 年に創刊された『Relax』や『Alfa』、『Fantastyka』といった雑誌は、当時たいへんな人気を誇っていました。
掲載作品は、主に歴史もの、犯罪もの、SFで、ポーランドの作家だけでなく、チェコやハンガリーの作家も執筆していました。
検閲だけではありません。当時は、海外のコミックスを輸入したり、翻訳出版したりすることも禁じられていていました。
おまけに紙質が悪かったこともあり、マンガファンや作家たちは不満を抱く一方でした。
新しい世界を冒険する欲にとりつかれた彼らは、少しずつ海外のマンガ、とりわけアメリカン・コミックスとフランス語圏のバンド・デシネに対する関心を募らせていきます。
彼らは海外に四散した同胞たちを通じて、不法に海外マンガを輸入し、それらを闇取引で入手するまでになりました。
こうして何人ものポーランド人作家たちが、海外マンガの影響を受け、アメリカン・コミックスやバンド・デシネに近いスタイルを獲得するようになったのです。

海外マンガ解禁

1989年、共産主義体制が崩壊すると、突如として海外文化が解禁になりました。
もはや国家による検閲はなくなり、需要が供給を決定づけることになります。続く数年、ポーランドのあらゆる出版社が海外コミックスに殺到します。
両大戦間にはポーランドにも存在していたアメリカのスーパーヒーローが久しぶりに復帰を遂げました。子供たちのもとにはミッキーの雑誌が何種類も届くようになります。
しかし、この海外マンガブームは長続きしませんでした。というのも、他にもテレビドラマに映画、ビデオゲームなど、さまざまな娯楽がポーランドに入ってきたからです。
こうした他のコンテンツとの競合に苦しみ、やがてポーランドマンガに興味を持つ人の数は共産主義時代と同じ程度になり、あまり売れなくなってしまいます。
多くのマンガ出版社が少しずつ姿を消していき、作家たちが作品を発表できる機会といえば、フェスティバルだけ。ポーランドのマンガ産業が再出発を果たすには、1990年代の後半を待たなければなりませんでした。
ちょうどその頃、週刊の『ドナルドダック』誌が大ヒット(毎号20万部)したこともあり、Egmont社が海外マンガの雑誌を創刊し、さらには日本マンガを翻訳出版に乗り出します。他にも、JPFやYatta、Wanekoといった日本マンガに特化した小出版社が現れ始めました。
やがて新しい出版社が次々と誕生し、世界中のあらゆる地域のあらゆるジャンルのマンガが翻訳されるようになりました。
市場が再生することで、読者も新しくなりました。
親ソ連時代の一番いい時に比べれば、まだ小さな市場かもしれませんが、読者は好奇心旺盛で、世界に対して開かれています。
2000年代初頭以来、ポーランドのマンガ市場は、今までの遅れを取り戻そうとするかのように、アメリカン・コミックスでもフランス語圏のバンド・デシネでも日本のマンガでも、翻訳して出版しようという熱に浮かされています。

ポーランドにおける日本マンガ

ポーランドにおける日本マンガは、他の多くの国と同じような経過を辿ってきました。
インターネットが飛躍的に発展し、日本のアニメに簡単にアクセスできるようになって今に至ります。
現在ではポーランドにも日本のマンガ・アニメの若いファンがたくさんいます。特に人気があるのは、もちろん少年マンガ。大手出版社のヒット作は軒並みポーランド語に訳されています。
日本のマンガが販売されているのは、主に(日本関連の書籍を扱う)専門書店とイベント(日本のマンガ・アニメのフェスティバルやコンベンション)会場。
たいがいどの大都市にもこの手のお店やイベントがあって、一般書店にマンガが置かれていない状況を補っています。そもそも一般書店には、『Kajko & Kokosz』などの古典を除けば、ポーランドのマンガもほとんど置かれていません。
ですが、他のヨーロッパの国々と同じように、日本マンガに夢中になった世代の新しい作家たちがいて、彼ら彼女らは、日本マンガのスタイルでオリジナル作品を創作しています。
これらのマンガ的な作品の中で特に人気のあるジャンルはファンタジーです。とはいえ、ファンタジー人気は必ずしも日本マンガ的な作品に限った話ではありません。
世界的に有名なゲーム『ウィッチャー』が、その証拠でしょう。同人サークルの数はあまり多くなく、十数組くらいしか見当たりませんが、それに比べると、ひとりで同人誌やオリジナルマンガを制作している作家の数はかなり多い印象があります。
これらのマンガ家たちは、多くの場合、作品をインターネット上で公開していますが、一部、自費出版をしている人たちもいます。
ポーランドのあちこちで行われているマンガ・アニメのコンベンションに行けば、そうしたものにすぐに目にかかることができるでしょう。
最近では、ポーランドのマンガ出版社からオリジナル作品を発表する日本人マンガ家も登場し始めました。
特筆すべきはKattlettと吉川慶子で、どちらもポーランド在住の日本人作家です。
吉川さんは、チェコ共和国でアニメーションを学んだ後、2013年にポーランドにやってきました。
現在はポーランドのYatta社からマンガを出版すると一方で、ワルシャワのアニメーションスタジオでも働いています。
彼女のマンガは、日常生活やポーランドと日本の文化の違いを扱っていて、特に食べ物の話が中心になっています。
ポーランドで日本的なマンガを刊行する出版社はまだまだ数も少なく、規模も大きくありません。
作家の生活を十分にサポートできているとは言えませんが、それでも一部のポーランドマンガ家の中にははっきりと上達の跡が認められます。
ヨーロッパの他の国にも共通して言えることですが、日本のマンガは大人気なのです。


 

 

ポーランドの新しいマンガの多様性

これらの日本マンガスタイルで描く若い作家たちとは別に、その他の海外マンガで育った新しい世代の作家たちもいます。
彼らはそれらの海外マンガに影響を受けながら、それらとは一線を画すような仕事をしようと日々努力しています。
この世代の作家たちは、子供向けのマンガ、ユーモアマンガ、風刺マンガ、グラフィックノベルと、実に多様なジャンルで自分だけのスタイルを模索し、自分なりのグラフィックアイデンティティを確立しようとしています。
ここ数年の成功例としては、特にTomaszLew LeśniakとRafał Skarżyckiの『Jeż Jerzy』をあげることができます。
ラッパー兼スケートボーダーのハリネズミJerzyの冒険を描いた、現代のポーランドを反映した作品です。
この作品からは、社会からはみ出した現代のポーランドの若者の姿が浮かび上がってきます。
こうした現代社会に対する辛辣な風刺とはずいぶん趣を異にしますが、Tomasz Samojlikの子供向けマンガ『Ryjowka Przeznaczenia』は、ポーランドの田舎を舞台に繰り広げられる小さな齧歯類の冒険を魅力たっぷりに描いています。
この作品は現在アニメ化され、大ヒット中です。
既に触れたポーランドマンガの古典『Kajko& Kokosz』も、現在は新しい作家に引き継がれ、相変わらずの人気を誇っています。
最後に付け加えると、マンガは徐々に、若い世代に歴史や国家遺産を説明するための教育的な道具として、ポーランドの教育機関でも使われるようにもなってきています。
マンガとその描き手であるマンガ家たちは、長らくあらゆるメディアから不当に評価されてきましたが、徐々に取り上げられる回数も増えてきて、その評価も変わりつつあります。
たしかに現代のポーランドマンガの発行部数は、共産主義時代の最盛期と比べて決してまだ多くありませんし、マンガだけで食べていける作家もほとんどいないのですが、それでも状況はよくなりつつあることが確認できます。
ポーランドのマンガが、発展のただなかで、海外マンガに開かれ、ジャンルが多様化しつつあることは、疑いの余地がありません。成長はまだまだ続くことでしょう。
今後のさらなる発展に期待しましょう。


 

 

冬コミ93 国際交流コーナー 報告

コミケ93の国際交流コーナーでは、2017年11月にイタリア ルッカで開催された『LUCCA COMICS & GAMES HEROS 2017』について特集しました。

2017年、今回のテーマは「HEROS」でした。
イタリア トスカーナ州の城塞都市ルッカで行われるこのイベントは、1967年から続くヨーロッパ最古のコミックコンベンション!


 

今回も世界中からたくさんの方々が来てくれました。