共信印刷WEBサイト
AIDE新聞
→ ホームAIDE新聞コミケカタログ82出張版(発行:2012.10.26) <<Back <!>Reload
各号へ
コミケ90
アフターレポ
2016夏
コミケ90
カタログ
掲載版
コミケ89
アフターレポ
2015冬
コミケ89
カタログ
掲載版
コミケ88
アフターレポ
2015夏
コミケ88
カタログ
掲載版
コミケ87
アフターレポ
2014冬
コミケ87
カタログ
掲載版
コミケ86
アフターレポ
コミケ85
アフターレポ
2013冬
コミケ85
カタログ
掲載版
コミケ84
アフターレポ
2012冬
コミケ83
カタログ
掲載版
コミケ83
アフターレポ
コミケ82
アフターレポ
2012夏
コミケ82
カタログ
掲載版
コミケ81
アフターレポ
コミケ80
アフターレポ
2011夏
コミケ80
カタログ
掲載版
コミケ79
アフターレポ
コミケ79
カタログ
出張版
コミケ78
アフターレポ
コミケ78
カタログ
出張版
コミケ77
アフターレポ
コミケ77
カタログ
出張版
コミケ76
カタログ
出張版
コミケ75
カタログ
出張版
コミケ74
カタログ
出張版
コミケ73
カタログ
出張版
コミケ72
カタログ
出張版
コミケ71
アフターレポ
コミケ71
カタログ
出張版
コミケ70
アフターレポ
コミケ70
カタログ
出張版
コミケ69
アフターレポ
コミケ69
カタログ
出張版
コミケ68
カタログ
出張版
イベント
レポート
エピタニメ
コミケ67
アフターレポ
コミケ67
カタログ
出張版
コミケ66
アフターレポ
コミケ66
カタログ
出張版
2004 春号
アンヌの
コミケ参加
体験記
コミケ65
アフターレポ
コミケ
カタログ65
出張版
コミケ64
アフターレポ
コミケ64
カタログ
出張版
AIDE Magazine
2003 Spring
AIDE Magazine
2002 Summer
コミケ61
カタログ
出張版
第44号
第43号
第42号
コミケ57
カタログ
出張版
第41号
第40号
第39号
第38号
第37号
第36号
第35号
第34号

インドネシア・
ローカル漫画の宝の山〜
コサシ氏との出会い



 今回のインドネシアの取材では、コーディネートをしてくださった前山まち子先生のおかげで、 いくつかの奇跡の出会いをすることができた。その一つが、インドネシアの古いローカル漫画を復刻して出版し、 販売もしているPLUZ社との出会いである。
 なんと、私が取材に来る1週間前に、マンガ賞の審査の席で、まち子先生はPLUZ社の代表と知りあい、 私(藤本)が探しているのはこれだ! と思ったのだそうだ。ほんとうにドンぴしゃで、 50年代からのインドネシアの古いローカル漫画やオルタナティブコミックスをここで見せてもらうことができた。
 店内で一番目立つのは、「インドネシア漫画の父」と呼ばれるコサシ氏の筆になる大判の立派な上製本 『ラーマーヤナ』だ。『マハーバーラタ』もある。ほかにも、横長の形が珍しいスマトラの漫画本を含め、 いかにもローカルなたくさんのインドネシア漫画が復刻されているが、不思議なことに、 それらのマンガはどこか日本の劇画に似ており、『ガロ』の翻訳、 と言っても信じてもらえそうな絵柄のものも目につく。加えてそれらの作品は、 どこか古いアメコミの影響を感じさせるのである。実際、 店内にはウィル・アイズナーの作品のインドネシア語版も復刻されていたから、 インドネシアにはなんらかのルートでアメコミが注入してきていたのかもしれない (実はこの謎は、滞在中、奇跡のような出会いによって解かれることになる)。
 おまけにこの店の前には漫画専門の古書店もあって、ここで古い版の『ラーマーヤナ』 そのものとか、昔出ていた『キャンディ・キャンディ』とか、 文字通りの「お宝」をたくさん手に入れることができた。

 翌日は、グラメディアの出版部門であるエレックスメディアとM&Cを取材。 出版サイクルや発行部数など具体的な数字も教えてもらい、 エレックスメディアのレトナさんには、インドネシア漫画の歴史を簡単に講義していただいた。 それによると、1935年頃からアメリカやヨーロッパの漫画が入ってきていたが、 インドネシア漫画の歴史が始まったのは、1953年にコサシ氏が 「スリアシ」という単行本を初めて発行してからである。 この作品は、インドネシアの伝説を題材とし、しかもキャラクター性が強かったことから非常に評判を呼んだ。 その後、インドネシア漫画は、コサシ・ミンタラガ・ガネス各氏を御三家として発展していく。 60年代からファンタジー漫画、ついでカンフー漫画が登場し、 70年代を経て80年代にはインドネシア漫画はブームを迎える。 しかし85年あたりから、翻訳マンガが大量に入ってくることによってローカル漫画が消えていったという。
 エレックスメディアが設立され、日本マンガが初めて入ってきたのは90年で、 「キャンディ・キャンディ」「What’s マイケル」「ドラえもん」の三つが相次いで翻訳。 どれも大人気だったが、一番売れたのは「キャンディ・キャンディ」だったそうだ。 日本マンガは、「スタイルがちがう」「ストーリーがちがう」「すべてがフレッシュ」だったとレトナさんは言う。
 続いてM&Cでは若い現地のマンガ家の現状を聞き、インドネシアではほんとうに充実した取材ができた。 だが、奇跡は一番最後にやってきた。
最終日、TGA書店を取材している私たちの元に、なんと、「インドネシア漫画の父」・コサシ氏が、会ってくれる、 という電話が入ったのである!もうすでに90歳を超えるコサシさんが! 私たちは喜び勇んで「パ・コサシ」(「パ」は年長の男性につける敬称)に会いに行った。
 コサシさんは90歳を超えていたが、ものすごくカッコいい「男性」だった! 足は少し不自由で杖を使っているものの、頭はものすごくクリアで矍鑠としている。 何を聞いても明快な返事が返ってきて、心の底から感激してしまった。
 デビュー作である『スリアシ』(1953年)は、 バンドンの出版社がインドネシアオリジナルの漫画を出そうとして漫画家を募集したのに応えて描かれた インドネシア初のコミックブックで、最初は、楽器を売るショップの片隅に置かれていた。 しかしこれが評判を呼び、通信販売であちこちから注文が来るようになったという。 「インドネシア語で読めるアメリカンスタイルの漫画、しかも衣装や物語の舞台はインドネシア、すごい!」 というわけだ。私はここで気になっていたことを聞いてみた。 「インドネシアにはなぜアメリカンコミックの影響が強いのでしょう? コサシさんはどこでアメコミを読んだのですか?」
 答えは驚くべきものだった。「当時、バナナなどを買うと新聞紙で包んでくれたんだよ。 けれどインドネシアでは新聞紙が足りず、アメリカが古新聞を送ってくれた。 そこには、動きのある、見たこともない漫画が載っていた。言葉はわからないけれど、 子供の頃からそれを夢中で模写したんだ。『ターザン』や『フラッシュ・ゴードン』なんかをね」
 ルーツは「商品を包んだ新聞紙」。まるで浮世絵が欧米に伝わった時を思い出させるエピソード。 この、他に類がない、インドネシアで初めてのマンガを、漫画家になりたい若い人たちはこぞって真似し、 コサシさんのスタイルは後続の漫画家に引き継がれていく。 インドネシアの古いローカル漫画にアメコミの影響が強く感じられるのはそういうわけだったのだ。 その後、コサシさん自身は「ワヤン」の話を描くようになっていく。 「ワヤン」というのはインドからわたってきた繊細な物語で、さまざまな細かい決まりごとがあり、 コサシさんは若いころからそれが好きでずっと勉強してきた。 だから本物の「ワヤンスタイル」は自分でなくては描けないとコサシさんは言う。 60年代がインドネシアローカル漫画の黄金期だが、50年代がいちばん楽しかった、 ワヤンスタイルの漫画がいちばん好きだ…。
 コサシさん=「パ・コサシ」との出会いは、氏の存在感を含めて、これまでで最も感動的な経験の一つだった。 すぐれた存在と出会うこと、それは私たちをいつも豊かにしてくれるものだ。


インドネシア漫画の父・コサシ氏

※画像の無断転載を禁じます。

写真提供(敬称略): 藤本由香里



★編集後記にかえて★楽しんでいただけましたでしょうか?(^∀-) 今回はシンガポール、バリ・ジャカルタと盛りだくさんの内容だったと自負しております(笑)。 藤本先生ありがとうございました。興味をもたれた方はAIDE新聞を片手に旅に出てみては…。なんてね(^_^;)

Produced by AIDE新聞編集部


本記事に対するご意見、ご感想、お問い合わせ等は下記住所までお送りください。
〒113-0001
東京都文京区白山1-19-6 共信印刷ビル
共信印刷株式会社 AIDE新聞編集部
e-mail:info@kyoshin.net

4
(←)前ページへ

目次
表紙
2ページ
3ページ
4ページ
 <<Back  ★Home  ↑Up  <!>Reload  □Mail
©1997-2011 KYOSHIN PRINTING CO.,LTD