8.作家の立場からの発言
竹宮恵子 漫画家 京都精華大学教授(マンガ学部長)
3月15日の集会のとき、ちばてつや先生・里中満智子先生・永井豪先生と一緒に記者会見をやり、都条例に抗議をしました。その後4月20日に、都の側から条例について説明をしたいというので説明を聞きました。ところが、5月6日の都議会総務委員会を傍聴していた中村公彦さんから、議会の中で与党の議員が「今回の件ではマンガ家が世の中に誤解を与えた」と発言し、それに対して都の担当者が「内容は言えないが、竹宮さんにはきちんと説明した」と答えていたので、このままでは、竹宮さんは説明を受けて納得したということにされてしまいますよ、とご報告を受け、とても心外でした。「説明の内容はわかった」とは言いましたが、「この条文である限り、私は反対という立場は変えません」というのはその時はっきり伝えてあります。これだけは言っておきたいです。
山本直樹 漫画家
人間の営みにはわいせつ部分を含まなければ表現できないものが確実にあるのに、わいせつを含まない表現は素晴らしいと宣伝し、真綿で首をしめるやり方で特定の表現を消滅させようとすると、表現全体がやせ細ってしまいます。
小沢高広(うめ) 漫画家
『大東京トイボックス』という自分の作品のなかに、ゲームに登場する変わったナイフが凶器と同じだったという理由で、ゲームが殺人事件を引き起こしたとマスコミにやり玉にあげられるシーンがあります。その記者会見の場面を紹介させてください。
マスコミ:「テレビゲームは青少年に何の影響も与えていないとお考えですか?」
プロデューサー:「いいえ、少なくとも自分が携わったゲームは与えています」
マスコミ:「問題のゲームが原因と認めるということですか?」
プロデューサー:「ゲームというのは何時間も何十時間もかかります。それだけの時間、人の体を拘束しておいて何も起こらないものなど、いったい何のために作るというんです?」。
表現するというのは、人に影響を与えるものです。僕が生まれてはじめて読んだマンガは、楳図先生の『イアラ』でした。一緒にやっている作画の妹尾は、手塚治虫の『火の鳥・黎明編』を読んで人の頭に矢が刺さるシーンを覚えているそうです。怖い。けど、そういう経験が根っこにあってこそ、人は暴力について学んで行くのです。娘は2歳ですが、その娘もマンガからいろいろな感覚を学び、成長していってほしいと思っています。
有馬啓太郎 漫画家
表現は人に影響を与えるものです。悪人達が善人の村を襲う描写を見て「この悪人達は楽しそうだな」と感じさせたり、かわいい娘が「何があってもお兄ちゃんのこと大好きだから!」と言ってくれる様な作品を見ながら「襲っても好きになってくれるのかな?やってみようかな」等々、そんな妄想を抱かせるような描写のある表現も存在することでしょう。 ただ、そういった作品を見たからといって普通の一般庶民は実際には犯罪行為を実行しません。なぜなら普通の一般庶民はそれまでに学んできた一般常識を有し、表現に影響を受けたとしてもそれを現実に実行して良いか否かの判断が出来るからです。
今回の条例改正案は「こういった作品を見ていたら犯罪者になるに違いない」と決めつけて居る内容であり、マンガ・小説・映画が大好きな立場からすれば、ものすごく失礼なことを言われている気がしております。
水戸泉/小林来夏 小説家
二つのペンネームでBLと性描写のあるライトノベルを書いていまして、現在90冊ほど本を出しています。3月の段階でゲラの手入れをした時、都条例改正はまだ成立していないにもかかわらず、編集さんから自粛の要請がありました。当該の小説はBLなので両方男性で、主人公は片方30歳、27歳なのですが、脇役の子どもが警官を撃ち殺すシーン、これを自粛しろと言うのです。条例成立前から表現の萎縮は始まっています。
大阪府の方でもBLが規制されましたが、BLというのは、編集・作家・読者も女性で、若い人から60代まで幅広い読者がいる。では、性描写を若い読者に読ませたいかといわれれば、さすがに12歳はまだ早いと思うし、個人的には14歳以降くらいであってほしい。
BLからの影響が実生活であるとすれば、一番可能性があるのは、中学生の女の子がBLを学校に持っていって先生に見つかることでしょう。でも、BLを読んでいる子が性的にアクティブだという話はほとんど聞いたことがない。学校にBLを持っていかない、公共の場で性的な話をしてはいけないというのは、道徳やモラルの問題です。私は道徳を法律で決めてほしくない。それは親や教育者がやることであり、私たちが下の世代に伝えていくことです。行政が規制することではありません。
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