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T. 1988〜1989年におけるコミックマーケットの状況

@ 宮崎事件の発生とその影響


吉田正高(以下、Y):
 1989年に宮崎事件があり、犯人である宮崎勤がオタク文化に染まっている人間だというのをマスコミが取り上げたことによって、マイナスのイメージでオタクが世間に認識されていくわけですが、それを受けた当時のコミックマーケット準備会側の苦悩はありましたか?

市川孝一(以下、I):
 世間的には「オタク」のマイナスイメージが広がり、バッシングもありました。

三崎尚人(以下、M):
 宮崎は、サークル参加者でした。

I:逮捕直後の夏のコミケット36にも宮崎は、サークル参加を申し込んでいたけど、抽選洩れしていたんです。その前のコミケでは、『月光仮面』のマンモスコング編の同人誌を出していた。

Y:抽選洩れは偶然ということですか?

M:偶然ですよね。だって宮崎が逮捕されたのは7月末ですよ。

I:サークルの配置もカタログ編集も終わっています。そういえば、逮捕後、あるテレビ局が「宮崎の同人誌を売ってくれ!」と電話をかけてきました(苦笑)。

Y:1988年の段階で、既に事件そのものは大きな社会的話題ですよね。その当時、準備会スタッフや一般参加者含めて、事件の話題などはコミケットではされていたんですか?。

I:出ていました。その話題で持ちきりでした。

M:88年は会場の都合で冬コミケがなく春コミケだったから、なおさらタイミングが合っていたかもしれません。

Y:あの当時、ビデオソフトバブルの影響もあって、海外ホラーが「スプラッター」という名称を得て、ある種の絶頂期を迎えてますよね。それも含めて僕は、いわゆるアンダーグラウンドな文化だとは思うんですよ。80年代の一般的な文化的価値観とか嗜好とか、販売・流通の基本ってあるじゃないですか。そういう一般的といわれていた文化の底のほうで何か異質な文化が形成されているという。

I:そうですね。コミケットだけではなくて社会全体として、なにかがうごめいていた時期だったかもしれません。

Y:そのような文化的背景の中に宮崎ももちろんいて、事件が起きるわけですが、その直後に「残酷」「15禁」などのシールがビデオに貼られるじゃないですか。宮崎事件があって彼が逮捕されたあとも、直接的な規制っていうのはコミックマーケット側では、同人誌に対してはやってないんですよね?

I:準備会としては何もしてないです。

A マスコミによる取材の増加とコミックマーケットの規模拡大

Y:事件を受けて多数のマスコミがコミックマーケットへ取材にきますよね。宮崎が逮捕された直後の取材の状況などを教えていただきたいんですけど。

I:たしかに取材は増えました。しかし、メディアで報道されればされるほど、「同じ趣味の人がたくさんいる!」ってことが、期せずして伝播していくわけですよ。だから、事件後、逆に参加者が増えるんです。サークルも増えれば一般参加者も増える。事件後のコミケット36では、会場はまだ晴海なんですけども、ここで初めて参加者が10万人を超えます。その後、幕張メッセに移った一年後のコミケット38で、23万人になってしまった。マスコミによってコミケの様子が報道されることで、多くの人に「仲間がいる!」という気持ちを抱かせて、その結果として参加者が増えたんでしょうね。

Y:報道の中身は別にして、多くの人が認知する機会になったという。

I:だと思います。

Y:準備会としては、宮崎みたいなオタクが犯罪をしてしまって、「よくないね」ぐらいな感じだったんでしょうか?

I:「そういう人もいたけど、だからなに?」という感じでした。やはりこれだけの参加者がいれば、なにかあってもおかしくないじゃないですか。現在だって50万人もの人が参加しているわけですが、現実を現実としてしっかりと受け止めていくのがコミケットであると。そのあたりはリアルなんですよ。前代表の米沢は「50万人いればいろんな人がいる」と言っていましたが、ということは、そういう犯罪者がいる可能性もあるんです。それがたまたま本当に出たっていうだけのことであって。

Y:むしろ、宮崎事件が起きる起きないっていうレベルじゃなくて、コミックマーケットっていう文化圏自体は、もうひとつの節目を迎えているんですよね。

I:その前年の88年の夏コミの取材において、会場の活況に対して、米沢は「13年前から予想していた」って毎日新聞紙上で発言するんです。

M:(『コミケット30年史』を見ながら)316ページに記事が再録されてます。この発言は結構有名ですね。準備会スタッフから「予想していたなら、何とかしておけ」とつっこまれたという(笑)。

Y:この記事での「認知されない集団」っていう言い方も相当ですね。「4000円払えば誰でも売り手に」って、すごいリアルなことを(笑)。

I:この頃は、サークル参加費が4000円でしたので。こういう流れの中で一般参加者が増えてくると、今度はサークルも増えるんです。楽しそうに作った同人誌を売っている姿を目の当たりにすると、「私もつくってみよう」とか創作意欲が燃えてくる。そういうサイクルが生まます。

M:一年間で参加者が2倍というのは、まさにビッグバンなわけですが、じゃあ、オーバーグラウンドには出てきたかというとまだまだそうでもない。表層は宮崎事件のおかげで露出したかもしれないけど、今みたいに「夏冬の風物詩」みたいな感じでの報道は全然ないんです。しかも、この頃はネットも普及していない時代ですから、コミケットのことを知ろうと思うと、自ら積極的に動かないと情報を得られない時代です。

I:当時の参加者はみんな、そういう情報を得ようとすることに、とてもアクティブでした。にもかかわらずこれだけ参加者が増えたってことは、一方で、飢えていた時代でもあるんですよ。

M:同人誌のような商業ベースではないものを読みたい、サークル参加して自分で本を作っていきたい、「仲間」とここで会いたい、といったことに対する気持ちが強い。だから、今みたいにコミケがよくわからないでやってきちゃうのとはちょっと違います。

I:ちゃんと物事を勉強して、ちゃんと段取り踏んで。

M:まだ、この時代は、踏まないと進めません。それに、コミケットって今こそずいぶん変わりましたが、あまり自ら情報発信することに積極的ではなかった。むしろ、しないのがポリシーみたいなところが、今でも少なからずある。もちろん、物理的に色々と難しいこともあるし、発信した結果、参加者を自らさらに増やしてしまってどうするの?という側面もあるのですが。

B コミックマーケット参加サークルおよび参加者の質的変化

Y:参加者が20万人を超えたという話がありましたが、参加者を中心とした共同体の質的変化などは特に感じられなかったでしょうか? たとえば宮崎事件の報道などからコミケットの存在を知って参加し始めた人たちと、それ以前からの参加者との雰囲気の差とか、温度差みたいなのはありましたか?

I:あったと思うんですが、なんだかんだ言いながら、両者が上手く交流していたのではないですかね。現場でスタッフをしていて、明らかに違うという印象はありませんでした。

Y:新規参入者に限ると、参加者が倍になった時の男女比ってどうだったんですか。

M:男女どちらにもブームがあったのですが、女性系の方が多いですかね。89年に『サムライトルーパー』が大ブームになる。基本的な流れに関しては85年くらいからの『キャプテン翼』からできていたのですが、それが拡大再生産されて、完全に同人誌ベースですべてが回っていく。

Y:本編じゃなくて同人誌ベースでね(笑)。

M:『キャプ翼』からそうなんですけど、80年代後半ぐらいから商業出版社が同人誌のアンソロジー本を出し始めたりして、地方だとそういうアンソロジーがきっかけで同人作品に触れる人が増えていきます。そんなこんなで、女性参加者が増えるという時代でもありますね。そして、『トルーパー』での主人公声優のユニットNG5のビジネスを見ていると、明らかにマニア目当ての企画が成立していってしまう。それほど、当時の『トルーパー』ブームというのは、空前のものでした。実数でいえば、分母が今より小さいので比較になりませんが、単独のパロディジャンルとしてコミケット全体に占める割合を見ると、今でも、『トルーパー』が一番なんです。

I:女性参加者が一気に増えたのは、『トルーパー』の時でしたね。

Y:男性参加者からすると、なんとなく宮崎ショックがあって、マイナス方向だけどコミックマーケットが広く認知されたので、参加者が増えたっていう、そういう流れにするとわかりやすいっていう意識もあるんですけど、実際のところは、例えばもしこの事件がなかったとしても、『トルーパー』の大ヒットがあれば、女性参加者が増加して、結果的に倍ぐらいにはなったんじゃないかっていう感覚はありますか?

I:ありますね。コミケットは、この女性系の急速な増加に煽られるような形で、会場を次々変えていく時期でもあります。もちろん、バブル期の世の中のイベントブームの余波を受けて、会場が借りにくくなっていたという事情もあるのですが。そして、会場が大きくなればなるほど、その器に合わせて参加者が増えていく状況となります。TRCが手狭になって、一回晴海に戻って、晴海から千葉の幕張メッセに行くというように、どんどん会場を大きくしていった。最初は「TRCから晴海に戻ったら開催日は一日に戻すよ」と米沢は言っていたんですが、結局戻さなかったので……。

Y:それは増加する落選サークルへの対応という意味もあるんですよね。

I:そうです。サークル数を落とすのであれば、二日間やって入れたほうがいいだろうと。「やれるよね?」と、一言……。

Y:(笑)そういう理屈ですか。

I:まあそれは正論なんで、「やりますか2日」となって、それが今の3日間開催に繋がるわけです。


2

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目次
表紙
座談会
コンテンツ文化史的にみるコミックマーケットの激動期 2
前文
I. 1988〜1989年におけるコミックマーケットの状況
II. 90年代初頭のコミックマーケットとコンテンツ文化 ─表現規制の問題を中心に─
おわりに ─コミックマーケットの永続に向けて─
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