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B 印刷・製本技術の発達と大部数化する同人誌

I:後、忘れてはならないのは、このころは安価で綺麗に刷れる技術が向上して、同人誌ががきれいになったことです。

Y:それはのちに、普通の書店でも販売されていくことにつながるんですね。

I:フルカラー表紙が増えてくるっていうのがこの時期です。それに、印刷費が安くなってきた。

M:大手サークルの部数が、明らかに大部数になってくるんですよ。書店売りもほとんどないのに、4000冊とか平気に刷るようになって。それだけ刷れば、ただでさえ安くなってきた印刷費がさらに安くなるわけです。そうなると、できることも増えてくるわけで、表紙や装丁に凝るサークルがたくさん現れる。

I:女性のほうが華やかな同人誌が多かったですね。

Y:表紙が華やかになったのは女性サークルのほうがだいぶ先でしたからね。

M:箔押しとか上製本から始まって、スリットが入っていて絵をずらせるとか、オルゴールが鳴るとか、当時、いろんな同人誌を見ました。だいたいそれが87年くらいからですね。

Y:ある意味、男女とも表現の仕方は全然ちがうとは思うけど、同人誌文化が発展してきたってことなんでしょうか?作られる同人誌の質も向上したということですね。

M:内容という意味でもそうです。例えば、高河ゆんとCLAMPで、商業誌における少女マンガの絵柄のパラダイムも大きく変わるわけです。それだけのインパクトがあった。そして、うたたねひろゆきとたつねこが、そうした女性系の影響も受けつつ、劇画でもロリでもないエロ表現を切り開いていく。

C 1987年前後におけるコミケットおよび同人誌への注目度

Y:91年の書店での美少女同人誌の摘発事件では、男性向けの同人誌が問題になるわけですけど、のちに問題になる要素の顕在化っていうのは、86〜87年の頃はどうだったんですか?

I:「裏マンガ」とか「面妖本」って呼ばれていた時期は、たまにマスコミに面白おかしく取り上げられるぐらいで、表にはほとんど出てない。実際にビニ本と同じような形で、男性向け同人誌が置かれていた時代でした。

Y:この時代っていうのは、同人誌がアンダーグラウンド文化でいられた時代なんですね。

I:商業マンガですら、大人からみれば子どもがみるものという雰囲気がまだ残っていた時代ですよね。

Y:キッズ・カルチャーとしてマンガがみられていた最後の時代ですね。例えば、この時期っていうのは、コミケットに対するマスコミの注目というのはどうだったんですかね?取材などは?

I:このころは、取材もそれほど多くありません。あっても『ファンロード』とかのマニア誌だったり、一部のマンガ出版社が大半ですね。

Y:数万人単位の人が一気に動くイベントが、なぜそんなに注目されなかったのでしょうか?

I:当時は、米沢ですら30代半ばです。子どもたちがやっているようにしか見られなかったということが大きいと思います。

Y:つまり、それは子どもが遊びでやっているっていう、本気ではなくて「ごっこ」としてみられていたということでしょうか?

I:今でもサークルって、「会社ごっこ」みたいな部分があります。晴海の館外でコスプレイヤーがやっていた「はないちもんめ」とかも「ごっこ」ですよね。

Y:あれは遊戯性の表れみたいなもんですね。なんだろ?一体感?

I:本当に公園へ遊びにきたような感じだったと思います。

M:晴海の会場の中央通路は、参加者の交流を促した大事な公共空間でした。ビッグサイトにはこういう場所がないのが残念なのですが。

D 1988年におけるコミックマーケットの雰囲気

Y:88年くらいのときのコミケットの雰囲気って、どんな感じでしたか? いや僕も行っていましたが、ひたすら買っていたので(笑)俯瞰的に見れてないんですよ。

I:雰囲気的にはあまり変わらないです。本をみて、頒布して、机1本に2サークル、これも全然変わらないし、やっていることも変わらないので風景的にあまり変わらない。

Y:なにか88年に「これは!」というエポック的なことってあります?

I:エポックって言われても、ないですねぇ。

Y:むしろ「変化がなかった」って言われると、それはそれですごいと思うんです。

I:確実に毎回人が増えている。それだけで圧迫されているっていう認識はありましたよ。回を重ねる毎に参加者がどんどん増えていって「どこまでいくんだろう?」って時期でしたし、建物のキャパの限界が見えたっていうのがある。スタッフ的には会場をどう回すかだけを考えていました。

Y:なるほど。コミケット自体に変化はないけど、人数が増えて圧迫感が増している、という時代なんですね。ちなみに、宮崎事件って 89 年に犯人が逮捕されるわけですけど、事件的には 88 年から話題になっていましたよね。で、犯人の宮崎勤自身も...

I:コミケットに来ていましたからね。サークル参加していた時もあります。

Y:私は、様々な人たちを包括しながら、コミケットっていう大きな舞台が動いている時期だったと考えているんです。

 次回は、宮崎事件、有害コミック問題、幕張メッセ開催中止事件と、1988年以降に焦点を当て、話を進めて行きたいと思います。
 なお、若い読者の方には、ご存じない作品名等の固有名詞が多数出てきたかと思いますが、注釈をつけるスペースがありませんでした。ネットでの検索で大半は補えるかと思います。がんばってみて下さい。

イラスト:代打BARA
Produced by AIDE新聞編集部



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目次
表紙
座談会
コンテンツ文化史的にみるコミックマーケットの激動期 1
はじめに
I. 80年代のコンテンツ文化
II.〜1988年までのコミックマーケットおよび同人誌文化の状況
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