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坂田文彦(ガタケット事務局)
まず永山さん、第一部で我々の世界でけっこう、我々なりのいろいろな自主規制のようなものを個別に行なってはいるということが話し合われたのですが、実際にそこらへん、少し一歩引いたところでご覧になっていただいて、どんな印象を受けてらっしゃるか、お話しいただけますか。
永山薫(マンガ評論家)
第一部をずっと聞いていて、なんだ、けっこういろいろ何重にもフィルタをかけて、がんばっているじゃないか、というのが正直なところです。この手の話というのは少しずつ知ってはいたりするんですけども、全体として有機的に、足並みはそろっているかどうかわからないけれども、ある種、効果的な修正なりゾーニングなりがなされてるということを、これまでほとんど外に向けてアピールしてこなかったっというのが一番大きい問題だと思うんですね。
知らない人から見たら、これは僕が中心に見てるエロマンガ、いわゆる成年向けのコミックもそうですし、ボーイズラブとか、それは商業、同人を問わず、そういうジャンルのものっていうのが、非常にアングラな訳の分からないものとして見えてる。だけども、実際それにはすごい豊かな土壌があって、実は日本文化というもの……大げさにいうと日本文化、日本経済にどれだけの貢献をなしているか。コミケの歴史があって初めてこれだけ日本の文化の隆盛があると僕は思っているんですけれども、全然そういう評価がされない。
評価がされないのはなぜかというと、結局、コミケ関係者にしても他の即売会関係者にしても、文化を担ってるという意識はあるんだろうけど、それを外に出していくという努力があまりにも少なすぎたんじゃないかと僕は思っています。
で、そのへんはまあこういうことをきっかけに、少しずつ表に向かって開かれていけばまた変わってくる。「コミケとかは全部野放しじゃないか、けしからん」と思ってる人に対しても、いやそうじゃないですよと。ちゃんと我々は考えてやってるし、こういう風に日本の文化にも貢献してるし、もっと端的にいっちゃえば、何億円何兆円はわしらが儲けてまっせ、って言えるようになると、向こうも話の仕方が変わってくると思うんですよね。野放しじゃないかといってた人たちが、ああなるほどそういう方法で自分たちで自立してやってるんだなと。だけど外から見てたらこうだから、こうしたほうがいいんじゃないかっていう提言に変わってくると思うんですよ。
それは理想論かもしれないけれども、そういうことを一歩一歩やっていくことが大切で、いたずらに対決姿勢を高めて、お互いにけしからんけしからん、許せないっていってるだけでは何もいいことが起きないと、僕は思っています。
坂田:'91年ですかね、同人誌に関わる大きな事件*がありまして、それを境に同人界では非常に厳しい自主規制をかけています。ただ、我々即売会はあくまでアマチュアの個別の団体ですので、個々に基準が違ったりはしますが、そういう意味では、非常に長い歴史の中で培ってきたものが実際あるんですね。そこはどうかご理解いただければと思います。
大きな事件*/5ページ目 三崎氏の意見参照
伊藤剛(マンガ評論家・武蔵野美術大学講師)
今、永山さんのほうから、いたずらに対決姿勢をとっても誰の何の利益にもならないという話がありましたけれども、僕も今日第一部を聞かせていただいて、印刷会社さん、それから書店さんも含めて非常にきめ細かく対応をされてるということを、具体的には初めて知りました。
とはいえ同人をやってる友達もけっこういますので、商業誌よりコミケのほうが厳しいというような話は伝え聞いてはいたんですけれども、そういったことをこういう会合をもってアピールするということの意味というか、今日の議論の大枠について少し整理したいと思います。
これにはふたつの意味があると思います。ひとつはいわゆる対外的な部分ですね。今日実際何社か取材入ってますけれども、まさにその社会や世間に向けて、我々はこのような存在であって、このような取り組みをしてますよ、ということを見せるという部分。それからもうひとつは対“内”的な部分です。先ほどイベントの主催者の方から、どちらかというとサークルさんに向けて発せられた言葉が結構あったと思います。
これはどういうことかというと、とかくこれまで同人誌の即売会とか同人誌の文化というのは、いわゆる世間や社会の価値判断とか、そういったものの外で、見えないところでやっているという自意識があったかもしれないわけです。物陰でこっそりやっている、みたいな意識っていうのは、みなさん全員ではもちろんないですが、過去に持ってた人はいる。あるいはそういった幻想や夢を見たいというのもあったかもしれません。
しかし、冷静に考えれば分かることなんですが、我々も世間や社会の一員であるわけです。そして今回の「バーチャル社会のもたらす弊害から子供を守る研究会」に関わられてる人々もやはり世間や社会の一部なわけですね。であるから、そこでいたずらに糾弾したり、罵倒したりとかしてもしょうがないわけです。ここはもう説得する相手であると、対話をする相手であると。
で、同人誌という言葉が、公の規制をしたいという人々、規制を進めたいという人々の発言にはっきりと出たということが今日の大枠なわけです。規制というのはどうして起こるのか、規制したい人はどうして出てくるのか。それは、子どもに悪い影響がある、読者がまねをするといった割と単純な人間観に基づいていて、要は愚かな人々は影響されて悪いことをすると。だから取り締まらなければいけないと、そういうロジックなんですけれども、その背後には、自分たちが見たくないものを社会から排除したいという欲望がひょっとしたら隠れているのではないか。というとですね、糾弾しているように聞こえるかもしれませんけれども、しかし規制したいという人にもそういったことを自覚をしていただきたい。
我々にも良識とか、マナーとか、モラルといったものは当然求められてます。第一部で、非常に繊細におやりになっている、塗りとか、消しとかっていうのも、やはり良識とかマナーの部分で歯止めとしてかけているものなわけです。であれば、同時に規制を進めたいという人にも、良識やマナーというものが当然あっていいはずです。
で、今回の研究会の答申は、最初はわりと威勢がいいんですけれども、だんだん後退してきて、最後は法規制には直接いかないというとこになってる。これはやっぱりあちらの方にもマナーや理性とかいうのはあるという結果だというふうに言っていいんじゃないかなと思います。
坂田:実際、我々が基準のようなものを定めているという話が第一部では出ました。ところが、どうもはっきりとしない。どこが基準になんだろう、なぜそういうことが起こるのかといいますと、刑法第175条にひとつの要因があったりもします。それからチャイルドポルノ法、よく最近いわれていますが、児童ポルノ法と日本ではいい習わすわけですけども、これは児童福祉法で定められた18歳未満を指すわけです。
どうでしょう、ちょっとこれ、一般的な“児童”という概念から、少し離れた年齢ではなんじゃないのかなあという気がするんですね。実際、学校教育法になると“児童”という対象は6歳から12歳になっているわけです。辞書で調べると“児童”はイコール“子ども”となっている。幼いもの、童、小児、まだ幼く世慣れしていないこともいう、という文章もついています。そこがはたして17歳、16歳が該当するのか。また、ほかにも一番大切な、憲法第21条、表現の自由も含めて望月先生にお願いしたいと思います。
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