そして、話はようやくリトルボーイへと辿り着く。
先述したように、リトルボーイはスーパーフラット・プロジェクト3部作完結編として企画され、森川のおたく展によりその内容を変化させたわけだが、村上がこの展覧会へ新たに託したテーマはズバリ“原爆”だった。
森川のように「オタクのいま」を語るのではなく、「戦後急激に発達していったオタクカルチャーはいったいどこからやって来たのか?」というオタクカルチャーの根元的な起点と成り立ちを紐解こうこと決めた村上は、それを象徴するモチーフとして、広島に投下された原子爆弾のコードネームである“リトルボーイ”を、展覧会、及び同名のコンセプトアートブックのタイトルとして掲げたのである。
その後、リトルボーイの文脈を組み立てていく過程において村上は、オタクカルチャーの中に第二次世界大戦敗戦国ならではのリアリティを見いだし、そこを足掛かりとして、「父親たる戦勝国アメリカに去勢され、温室の中でぬくぬくと肥え続けた怠惰な子供としての日本と、そうした環境ゆえに派生した奇形文化としてのオタクカルチャー」という強靱なロジックを構築することに成功する。
結果から言うと、このロジックの構築により、それ以前と以降の村上は「別人」と化した。
原爆投下により日本を去勢したアメリカに対し、戦争責任を追求するのではない。「オタクカルチャーが生まれたきっかけの一端はじつはあなたたちにあるのだ」という仮説を明示し、「それゆえに、この特殊な文化はあなたたちにとっても重要な文化となりえるのではないか?」と理詰めで問いかけるプレゼンテーション――ここには、Coloriageまでに見られた、無根拠な思い込みやある種の無邪気さはまるで存在しない。ロジックに裏打ちされた、「世界初の本格的なオタクの翻訳作業」とでも言うべきだろうか。
そしてそこには、村上なりの、戦後日本文化の父たるアメリカへの「脅し」も込められている。
「……あなたたちが日本を強姦した結果から生まれた子供がこの奇形児なんですよ。そうした事実を無視し、この子を気味悪がりつつもテイストだけをかすめ取るような真似を続けたら、しまいにゃブッ殺しますよ?」
もちろん、ここまではっきりとした台詞を村上が口にしたわけではないのだが、そうした旨は、ニューヨークでぼくと雑談している最中に発せられた「『スター・ウォーズからマトリックスまで』とかいう(日本のオタクカルチャーがアメリカへもたらした影響や恩恵の存在を無視するような)展覧会が生じないようにしたいよね」という言葉からも読み取ることができるはずだ。
このようなコンセプトを掲げた結果、リトルボーイは過去のスーパーフラット・プロジェクト2作よりも、明らかにオタクカルチャー色の濃い展覧会と化した。
過去の2作が「サブカルチャー作品の中にオタクカルチャー作品をこっそり混ぜた」という雰囲気であったのに対し、リトルボーイはオタクカルチャーとその担い手が全面的にフィーチャーされ、ファインアーティストの作品が「添えもの」としてしか見えぬほどの内容なのだ。
成田亨、大伴昌司、小松崎茂、大嶋優木といった作家陣に加え、『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』『ゴジラ』『ウルトラマン』『宇宙戦艦ヤマト』『アキラ』『ドラえもん』といったコンテンツがピックアップされ、さらに極めつけは、コピーライトなどの諸問題から日本国内での上映ですら困難な『DAICON
IVオープニングアニメーション』(!)が大々的に取り上げられている点か。
オタクカルチャーのことをほとんど何も知らない外国人に対するオタクプレゼンテーションとしては、「最強」と称してもあながちまちがいではないラインナップである。
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