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1.森川嘉一郎氏に訊く−『趣都の誕生』から3年、秋葉原は変わったのか?

●おたくのパワーが街を変えた『趣都』秋葉原
―森川さんは、「ベネチア・ビエンナーレ国際建築展」で、秋葉原を日本の特徴的な都市として取り上げていましたね。展示のコンセプトとなったのが、著書の『趣都の誕生』だとお聞きしていますが、この本はどんなきっかけで書き始められたのですか?
森川:研究を始める前、一人の消費者として秋葉原に通っていた頃は、そこに同人誌やガレージキットの専門店が集まってきたことについて、何ら不思議なところのない、自然な変化だと受け止めていました。ところが、建築や都市の視点でこの変化をとらえ直してみると、かなり新しい仕組みがそこに働いていると感じられたんです。その頃たまたま建築関連の批評誌に原稿を依頼されたので、この秋葉原のおたく街化について検証してみようと、取材を始めたのがきっかけです。東京についての都市論は80年代に一度流行しているのですが、その頃の対象といえば渋谷が中心でした。そこで、80年代の渋谷の変化の仕方と、90年代末の秋葉原の急変を、比較してみるところから出発しました。通常、都市の姿やその中身が急激に変わる裏には、大企業の思惑や行政の意向が絡んでいるものです。渋谷の場合で言えば、電鉄系の大企業がブロックごと買い占めて系列の店鋪を並べ、ストリートをテーマパーク的に演出するといったことがなされました。ところが秋葉原では、そのような権力をもった黒幕が不在だったことが取材を重ねるうちにわかってきました。行政なり大企業なりがそこを「おたくの街」としてプロデュースしようとしたのではなく、自然発生的な変わり方をしているんです。また、同業の店がたくさん集まった「専門街」は国の内外を問わず昔から沢山ありますが、例えば神保町の古本街は本の好きな人が集まる街ではあっても、本好きがいたからそこに古本屋が集まったわけではありませんよね。あくまで店が集まった結果として趣味を同じくする人々が集まっている。ところが、秋葉原のおたく街への変化をみてみると、同人誌やフィギュアの店などほとんどない頃から「おたくが集まっているという状況」が先行して発生し、その結果としておたく系の店が進出しだしたのです。つまり、人の趣味嗜好のパターンに従うかたちで街が変わるという、新しい仕組みが働いているのです。そのような変化のプロセスや背景を追いながら『趣都の誕生』を書きました。
―本を出された2003年の時点から現在までの間に、秋葉原について変化を感じたところはありますか?
森川:引き続きおたく系専門店が増えてゆきました。強いて言えば2003年頃を境として「秋葉原が変わって来たらしい」と、一般のメディアで報道されるようになったことが、変化としては一番大きいのではないでしょうか。それまで秋葉原がおたくの街になっているということは、秋葉原に通っているような人たちの間では周知のことでしたが、一般の人々には認識されてなかったですから。

●秋葉原は変わることを躊躇しない
―今回の再開発は、東京都の肝入りだったと言われていますが…?
森川:今回再開発されている場所は、もともとは都有地で、90年代に入るまでは神田青果市場がそこにありました。市場の移転後は、スケボー少年たちの遊び場や駐車場として使われるなど、いわば「遊んでいる土地」の状態でした。そこでもったいないから開発しようという構想が持ち上がり、民間に土地を売却することになりました。その際に「秋葉原だからITセンターを」という題目でコンペが行なわれ、NTT都市開発、鹿島、ダイビルの3社に決まりました。ですから、ITセンターにしようと方針を立てたのは都、実際の開発は民間資本ということになります。
―そういう再開発のプロセスは、あまりない例なのでしょうか?
森川:プロセス自体はよくあることなのですが、敷地の条件が非常に例外的です。普通、東京に新たに建物を建てる場合、サラ地に建てることなどまずあり得ません。あのような規模で都心の一等地に巨大な空地が残っていたのは、秋葉原と汐留くらいのものです。通常、再開発を行うに際しては、従来からそこにあるゴミゴミとした街並みを潰して、その上に建てるわけです。しかし秋葉原の場合は、中央通りの電気街をそっくり残したまま、そのすぐ隣に、全く違うスケールのビル群を立ち上げているわけです。このような大規模再開発としては、とても特殊なことですね。
―秋葉原のような街は、外国からはどのように見られているのでしょう?日本人から見ても、とても雑多な街に思えるのですが…。
森川:そもそもヨーロッパと東京では、都市の成り立ちが大きく異なりますが、驚いたのは、ビエンナーレで秋葉原を展示した時、現地の若い来場者がこれを見て、「うらやましい」というコメントを寄せたことです。われわれ日本人から見ると、ヨーロッパの都市は歴史的な街並みを豊かに残し、整然として美しい。それと比べると東京はスクラップ・アンド・ビルドの繰り返しでゴミゴミしている、と感じられるでしょう。しかし、ヨーロッパの都市は、観光客にとっては魅力的でも、そこに住んでいる若い人たちにとってみれば、何百年も前から全く変化のない、窮屈な街なんですね。だから秋葉原がそこに集う人の趣向に合わせてぐるぐる変わる様子を展示で見て、うらやましいと感じたらしいのです。一方、日本の人で秋葉原が好きな人の中には、秋葉原は懐かしさに満ちている、と言う人もいます。実際、戦後の闇市の面影をガード下のパーツ屋さんの区画は色濃く残しています。さまざまな世代の人が、自分の若いころの熱中の対象をそこに見出すことができて、そうした時代時代の痕跡を少しずつ残しながら変化し続けている。秋葉原には、そのようなノスタルジックな魅力もあるのではないでしょうか。

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目次
表紙
秋葉原が変わる!?駅前再開発と『趣都』のこれから−
『趣都の誕生』から3年、秋葉原は変わったのか?
「電気街口」駅前に突如出現した異空間?
秋葉原への新たな足「つくばエクスプレス」
そして、「アキバ系」の未来はどうなる…?
特別寄稿『東池袋に「乙女ロード」はなぜ出現したか』
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