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■「亜流」が大衆文化を底辺で支えている

夏目: パロディっていう概念が、恐ろしく混乱するな。ああいうものを見てしまうと。だって、僕の観念で言うと、パロディじゃないから。じゃあ何なんだっていわれると、困るんだけどさ。
米沢: パロディという方法論とか、ことばを与えられて、自分でものを描いたときに、ああなったっていう、結果でしかないと思うんですよね。そこが多分オリジナリティだと思うんです。90年代頭の少女漫画家、CLAMPとか尾崎南とか高河ゆんとか、結局アニパロの中からしか出てこれなかった。
夏目: 有名な話で、手塚治虫がトキワ荘の住人に「君たち、漫画を描くんなら漫画ばかり読んじゃだめだ。映画を観なさい、芝居を観なさい、音楽を聴きなさい」って。
米沢: わかんないところから引用してきなさいと(笑)。
夏目: いやそういう解釈もあるって話で(笑)。だけど、そういう世代が終わって、漫画の中からそういうことが出来るようになったから。
米沢: アニメやテレビの特撮もですね。
夏目: で、漫画や漫画関連のアニメなどの中から、自分たちのアイディアがインスパイアされて出てきうる状況になってきたのが、70年代以降ですよね。
米沢: かつての文化的な共通項が、それまでは小説であったり映画だったのが、テレビもあり漫画もありっていう状態になっちゃった。土台というか土壌の違いですよね。
夏目: そもそも、漫画が全出版物の1/4から1/3に近いシェアをもっているなんて、世界中にどこにもないわけで、それだけの市場を持っていることは何を意味しているかというと、諸外国では単に子供のものである漫画が、半分以上大人のものであるということと、それがソフトとして機能しているっていうことなんですよ。だから、映画にもなる、テレビドラマにもなる、ゲームにもなる、商品にもなるっていう、ソフトの供給源として、大きな位置を占めてるっていうのが、重要なところでね。つまり、漫画自体からいろんなものが層のようにしてつくり得る、クリエイションできるっていうのが、80年代以降の日本なんです。
米沢: 70年代から築かれてたものでしょう。
夏目: もちろん。そういう文化的な文脈を我々は主張はしているけれども、じゃあその背景から、ある程度裁判で勝てるほどの、社会的なコンセンサスを得られるのか、っていう問題だと思うんです。
米沢: それは表現は何なのか、あるいは大衆文化は何なのか、ていうところまで突き詰めないと難しいですね。大衆文化なんていうのは9割方亜流ででき上がっているわけですけど。
夏目: でもね、今ちょうどニュースになったけど、文部省の教育白書に、ほんの数行「漫画やアニメは情報通信産業 において非常に重要な存在になりつつある」というような文があって、それが新聞ネタになるような、まだその段階だし、情報通信産業におけるソフトやコンテンツの重要性から逆に、漫画やアニメが日本の官僚に注目され始めたという状態だよね。
米沢: 漫画が教科書の中に使用されるようになって、もう10年くらい経ってるんですよね。
夏目: だって、驚くなかれ、僕の漫画評論の一部は、高校の国語の教科書に載っているんだから。漫画っていうのがそういう権威をまとうことを嫌がる人はたくさんいるけど、嫌がっても嫌がらなくても、いずれそうなると僕は思ってる。そのときにどうなるか、こういうものを認めるのか。コミケ的な一種の混とん、カオスを認めるかたちで行くのか、これを排除するかたちで行くのかっていうのは、まだわからない。その辺が多分、米沢さんなんかの頭を一番悩ますところだと思う。
米沢: 産業としての漫画っていう部分と、さっきも言った文化としての漫画というものは、非常に違う。産業としての漫画っていう部分は、作家側も著作権を言い始めてるんだけど、広い意味での産業として考えるんであれば、逆に遺産で食うんではなくて、次が出てこなくてはならない。こういう底辺がないと、底辺というとまずいんですが、底辺がないと次がないんですよね。
夏目: 日本には赤本、貸本という伝統があり、紙芝居という伝統があり、その底辺の上に初めて、劇画が成り立ち、漫画が成り立ってきた、これは歴然たる事実。で、これは漫画批評をやっている人間にとっては常識に類することです。どういうわけか、僕が発言することの一部を取って、わりと高度な表現ばっかり扱ってるみたいに言われるんだけども、僕はそういうことは言ってないのね。一見愚にもつかないものがあるから、上があるんで、ピラミッドの底辺抜いたらピラミッドじゃない。僕は何度も何度もそれを書いたり言ったりしているつもりなんだけれども、なかなか分かってもらえない。
米沢: そういう混とんと、別の意味でのマイナー部分がないと、産業にとってもそれはマイナスなはずなんですよね。底辺から吸い上げられていって、次の部分がつくりあげられて、商品化されて行く、その流れがずっとありますから。
夏目: 僕もそう思うよ。

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目次
表紙
ごあいさつ
バーチャルアイドルNaNa
著作権問題を考える-4
対談 夏目房之介・米沢嘉博
新装開店!B−Maniacs訪問記
Dr.モロー氏の4コマ漫画
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