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■法律が身近な存在になってきた日本社会

米沢: で、当時は著作権とか考えてなかったでしょう。
夏目: なかったですね(笑)。
米沢: パロディって正当なものだと思ってましたからね。
夏目: そもそもすごく大枠で言えば、漫画自体って、日本のカルチャーの中ではマイナーで誰も認めてくれなかったものじゃないですか。だからこそ、カウンターとしてのエネルギーみたいなものがあって、そこでは何やってもいいんだ、「著作権がなんでい!法律がなんでい!」(笑)ってのがありましたよね。
米沢: この間まであったような気がする(笑)。つまり、漫画においてパロディは結構普通に行われてた。赤塚不二夫なんかも替え歌やコマーシャルをどんどん使ってギャグ作ってたわけで、時代性というか、テレビで今流行ってるもの、世間に流布してる社会状況とか文化みたいなものを、ギャグのネタにしても構わなかったし、それが漫画だと思っていたんですね。
夏目: だけど今この国では、ある意味市民社会の成熟なんだけど、法っていうものがきちんと社会に浸透しつつあるんですよね。だからいしかわじゅんが『鉄槌!』を書かざるを得なくなるんですよ(笑)。知らないとどうなるかっていうことが、本当に身近に起こり始めるっていう。
米沢: 『ナニワ金融道』っていうのが、まさしくそういう漫画ですね。知らないと損をするっていう。
夏目: ただ問題は持ち始めたんだけど誰も勉強しないから、亡 霊のように法律とか著作権っていうのがあるだけなんだよ。驚いたことに出版人も殆ど著作権法を読んでいない。
米沢: 著作権っていうのは、一般の人にはいちばん関わってこない法律なんですよね。で、コミケットなんかのように、表現しようとかミニコミ作ろうなんていう人間に一番関わってくる、それに気がついたのがここ2、3年ですね。でも泥縄式にやろうと思っても出来るわけなくて、ましてや、権利を行使する側自体も法律をよく分かってないから、権利を主張したい意志があっても、どうやっていいか分からない。
夏目: 難しいですね。
米沢: オリジナル信仰っていうのは、やっぱりありますからね。
夏目: というか、それが前提でできてるんだもん著作権は。
米沢: 大衆文化においては、オリジナル信仰っていうのがどこまで成立するものなのか…
夏目: いや、法律っていうのは本来は論理ですから、論理で証明するわけで、じゃあ実際に本当のオリジナルとは何かっていう純粋論理で証明しようとすると、できないのよ。
米沢: そこへ持っていったら話が始まんないから、逆に著作者側が求める権利というのは何なのかというのが、もう一つ問題になっていくんですよね。著作者側が本当に求めているのは、やはり勝手に出版されない権利、っていう点になるんですかね。
夏目: いや、でもそれは著作者によるでしょう。問題は、僕自身も結局、自分でパロディを描いていて、そのときは著作権の知識なんかない。意識もないわけ。で、その延長で、摸写による漫画批評なんていうのをやって、これは本当はやばいんだよ、ところが、今のところ文句言われてないんですよね。それはそれで、私はありがたいことだし、いいことだと思う。っていうのは、漫画の批評をするという行為の中に模写っていうものが入っていて、その方法によって新たに発見がある以上は。ただ、これも法律的に言えば、一つのオリジナルだという主張はありうるんですよ。そっくり描いた摸写でありながら、それは批評のための行為だ、っていう、批評表現としてのオリジナルだと。
米沢: 法っていうのは運用の問題だから、運用と解釈ですよね。あのあいまいな文章、かなり拡大解釈していける文章そのものは、いざとなればどこまでも適用されていくんじゃないかという気もするんですよ。
夏目: いや、逆に言うと、法律というのは、そうじゃなきゃいけないんですよね。でないと、10年も経ったら替えないと役に立たなくなるので、あいまいにしか解釈できないんですよ(笑)。
米沢: こないだのシンポジウムで竹熊(健太郎)君が言っていたのは、フランスの「パロディ法」、あれだと、悪意があればパロディとして許される、みたいな部分ありますよね。風刺とか明らかに批評性があって、対象を利用して利益をあげようとしていない批評性と、悪意があれば逆にパロディとして許されるみたいな部分があるんじゃないかと。
夏目: ただ、パロディ作家側のオリジナルをどこに認めるかっていう話にもなるわけで、オリジナル、っていう考え方がないと、それも成り立たないです。でもじゃあ純粋無垢のオリジナルはあり得るかっていったら、有りえない。僕も自分の経験として、自分でパロディも、模写批評もやって、その当時は全然そういうことを気にしないでやっていた。ところが、本気で漫画の批評をやろうとしたら、表現について語ろうとする僕のやり方だと、図案の引用が不可欠だった。そこではじめて、著作権の引用条項から考えてったわけで、そういうせっぱ詰まったものがないと、人は法律なんて読まない(笑)。
米沢: 目の前に突きつけられないとねえ。自分に引きつけて、いっぺん考え直したときに、見えてくるものがあると。著作権法の全文にも一応目を通したんだけれども、関係ない部分がありすぎるから、関係ある部分だけ後で拾い読みしたりするんですけどね。
夏目: 結局、必要に迫られて法律の条文を読んだり、解説書を読んだり、弁護士と会ったり、実際にその相手と話したりしてきて、分かったのは、日本人は法律を怖がってるってこと。少なくとも出版業界、テレビとかマ スコミ系、広告もそうだけど、彼らは、法律を読んでない。で、僕がちょっと条文を引用して言うと、もう恐れ入っちゃうんだよ。
米沢: そうか、そういう手があるのか(笑)。そりゃ半分脅しですよね(笑)。
夏目: いや、気がついたら、勝手に脅されてるんだもん、向こうが(笑)。僕は脅してるつもりはないんだけど。この社会が、法律と伝統的共同体のきまりとの二重構造だったっていう時代はずっと長くあった。共同体のきまりがある、で、そっちを優先する。しかし上には法律があるっていう(笑)。
米沢: 共同体の決まりを生かして、それぞれ法律を作っていくというやり方でしょう、今の国家は。日本もそうだったと思うんですけどね。日本は、近代化で輸入した部分、移植した部分も大きいけど。
夏目: 今の僕が言っている法律っていうのは、これは近代国家っていう国家の装置だから、基本的に外来のものですよね。それにある意味でなじんできた、っていうことだと思うんですよ。身近になってきた。だからさっき冗談のように『鉄槌!』を挙げたけど、あれは象徴的だと思うのね。自分が正しいと思っていることと、法律的な解釈はまた違うのだっていうことを、ちゃんと本にできてる。だから、こういう問題を考えるときに、僕はああいう本を読むのはいいことだと思うよ。法律と自分がどう関わるのか。ある程度行くと自分で勉強しないと分からないんだよ。いくら説明されても。
米沢: ビッグコミックスピリッツで、主人公が突然交通違反の切符を切られて、弁護士さんに相談して、そこから戦っていく話が連載されていますね。『カバチタレ!』なんかもそうですし。これらも、市民が自分をどう守るかっていう部分とつながってるのかな。
夏目: 法律っていうのは、本来的な設定としては、中性的な、ニュートラルなもんですよ。でも、ものすごく簡単に言うと、知ってるほうが勝つんだよね。
米沢: しかし、出てくると「ははぁーっ」となってしまう。それは国家による絶対だと思うんですよね。知らない人は、そういう風に思っちゃうんですよ。
夏目: まず、みんながすごく勘違いするのは、なんでもかんでも法律で分かるわけがないじゃないかっていう反発があるけど、それはあたりまえ。法律もそう思ってないんだよね、実は。
米沢: 法律というのは、何かあったときに使われればいい、というものですからね。
夏目: 運用の問題であって、法律が最初っから全てのことを包括して、全てのことを判断できるようにはできてないんですよ。
米沢: ましてや、全ての法律を適用したら、一分でも生きられないっていうのが現実でしょう。
夏目: 法律の中にもちゃんとそういう部分は盛り込まれていて、著作権法でいうと、なぜ著作権法をつくったかといえば、文化を維持し育成するっていう(苦笑)、大前提があるんですよね。そのための運用であり、権利の保証なんです。しかしその権利を保証することだけやっていると、局面によっては文化を阻害する場合がある。だから著作権の制限っていう概念がきちんとあるんですよ。例えば引用の場合はOKとか、いくつかの場合には著作権は制限される旨の条項があるわけです。問題は、日本の著作権法にはパロディ条項がない。
米沢: つまり、こういうかたちで使われることを考えていなかった。あるいはこういう文化的な土壌があることを、はなから認めたうえで、関係ないものとしていた。
夏目: ただパロディ条項はむしろ、フランスに特有の文化じゃないでしょうか…
米沢: 多分、芸術とか批評とかそういう物に対して、きっちりしたほうがいいという考えで出てきたものだと思うんです。ただアメリカにおいても、フェアユースという考え方があって、本人達の利益を阻害されないかたちでの利用は認められている。パロディもそこに含まれると思うんですよね。
夏目: 夏目:アメリカではそうですね。たしかそういう判例が有りますよね。
米沢: つまりそれが100万売れるはずだったのが、これが出たおかげで80万になって、損をさせられたと、それらのことを著作権で守っていこうという考え方だから。ただし、パロディっていうのはそういうものとは違うわけで、もともと100万売れた後に、その100万のなかの一部とか、それを買わなかった一部が喜ぶものだから、そう考えれば関係ないといえば関係ない。という考えで、一応認めてる。
夏目: アメリカの著作権法は僕はわからないですけれど、パロディ条項がなくても、パロディというものの文化的な価値みたいなものを認める風土、風潮があれば、運用次第で、おそらくできるはずなんです。
米沢: そういった意味だと、日本におけるパロディ文化っていうのが、後追いと言っちゃ何ですが、どっちかっていうとバカにされてた部分、メインのものとして考えられなかった部分があったことのせいかな、と思うんですが。つまり、偉い人の絵がすごいわけで、それをパロディにした赤瀬川原平みたいなものは、あくまでサブカルチャーとかカウンターであって、芸術性はない、みたいな。
夏目: でも、パロディってもともとそういうものじゃないの? おそらく今の時点でも、われわれがパロディと言ってる概念に含まれる、歴然としたパロディであるならば、言い換えればパロディとして成立していれば、おそらく日本の現行法の運用次第でも行けるはずなんです。僕なんか批評ではかなり厳密にやってるつもりですが、条項をきちんと守ったうえでの批評上の引用は何ら問題がないとのと同じような意味合いで。しかし問題は、同人誌での表現はそうなのか?っていうことです。

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目次
表紙
ごあいさつ
バーチャルアイドルNaNa
著作権問題を考える-4
対談 夏目房之介・米沢嘉博
新装開店!B−Maniacs訪問記
Dr.モロー氏の4コマ漫画
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